久しぶり

久しぶりすぎる。

元々ダイアリーとは言えない頻度のダイアリーだったけど、去年1個も書いてないとは我ながらすごいな。すっかり忘れていた。。いや、正確に言うとたまにふいと思い出すことはあったけど、またそのうち…ということで有耶無耶にしているうちに、ほんとに忘れてしまっていた。我ながらすごいというよりは、我らしいというべきかも。(;´д`)トホホ。。

思い出したのは、先日いろいろなことを考えていたとき、断片的にノートに書いたりTwitterにメモ的な感じで書いたりしてるようなことを、もう少ししっかりと書いておくところがほしいなぁと思ったからだ。どこにどんな風に?と考え始めた途端、「!!場所あるやん!」となった。

ということで、別に思索的なことに限らず、くだらないことやとりとめのない文章など、いろいろ少しずつ書いていこうと思う。

列車の中で

爽やかな秋晴れの日、街に出るために電車に乗って、空いていた四人掛けボックス席に一人で座った。
窓の外を流れていく景色を清々しい気分で眺めていたのだが、ある駅でたくさん人が乗ってきて、外国人ファミリーらしき観光客に囲まれることになってしまった。

私の横とその前に、50代くらいのオバサンが大きなスーツケースを片手で支えつつ座り、真ん前は幼い女の子が座った。外国人に囲まれるとなんとなく面倒くさい感じがするのはなんでだろうか、と思いながら女の子を見ると、こっちを見ていたので、にっこりする。子どもはかわいい。

オバサンたちが中国語で話し始めて、ああ、と気づいた。何を言ってるのかわからない会話が間近で続くと、不安とまではいかないけれど落ち着かない気分になるし、何か話しかけられても意思の疎通ができるだろうかとか思うから、面倒くさいような気分になるのだな。理解可能な言語でくだらない話を続けられても、うんざりするけれども。

女の子と笑顔の応酬的なことを続けていると、オバサンたちが喜んで、話しかけたいという雰囲気が伝わってきた。何を言うのだろうかと思っていたら
、How old are you? だったので、は?となった。予想だにしない質問。。

英語で答えたが、彼女たちはそれほど話せるわけでもなさそうで、わからないようだった。んー…と考えて、指で表現してみたが、これも伝わらず、どうしようかと思ううち、メモ帳がある!と気づいて筆談。年が割と近いことが判明し、カタコトの会話と笑顔が少し続いた。

程なく目的地が近づいて、降りようとすると、オバサンたちは満面の笑顔で何か言いながら手を振ってくれた。昔からの友達にするように。
ちょっと驚いたのと、すごくうれしかったのと、終着駅なのに降りる気配のない彼女達に、終着駅だから降りなければと伝えても理解されず焦ったのとが一度に来て、笑顔で手を振り返しつつ混乱した。

別の所に居たらしいお連れの人達に呼ばれて、やっと彼女達も気が付いたようだったからそのまま降りたけど、Have a nice day! くらいのことは言えばよかったなと後で思った。(混乱してたのだ。)

失礼ながら、体型的にも服装のセンス的にもまったくぱっとしないオバサンたちだったのに、別れ際の笑顔と振った手からとても暖かいものが放射されて、私の心に強烈な印象を残したのだ。

人と人との繋がりとは、国や民族や性別やそういったソトガワのものとは無関係であるという、以前から知っていたことを、新たに強烈に体感した十数分の出来事だった。

壁を造るのは自分の心。いつも爽やかに風通しよくしておきたい。

トウモロコシの季節

トウモロコシの季節が来た。
いつもなら、友人Oからまた連絡が来るだろうかと思いながら、採れたての美味なトウモロコシをうっすらと期待する季節。でも今年は連絡など来ない。彼女はもうこの世界にはいないから。

去年も来るはずの頃に連絡が来ず、ご機嫌伺いと引越しの連絡を兼ねてメールを送って、その返信で体調を崩したことを知ったのだった。良くなれば会いたいと書いてあったので、ぜひ!連絡を待ってるね!というような返事を送った。年が明けて春頃には会えるだろうかと気楽に思っていた。

年が明け、年賀状の返事がご家族の名前で来て、ハッとした。どきどきしながら読んだ。もう彼女はいないのだということが、理解はしているが夢のなかのことのようだった。

ご家族に手紙とお供えを送り、お礼のお返事も頂いて、いろいろ思い出したり考えたりしてなんとなく落ち着いた頃に、ふと決意のようなものが湧いて出てきた。

会いたい人にはすぐ会いに行こう。やりたいと思ったことはすぐしよう。
腰が重くなりがちな私の、残りの人生に向けてのOからの叱咤激励のような気がした。

O、ありがとう。また会おうね!トウモロコシを食べる時には思い出さずにはいられないと思う。きっと、死ぬまで。

最後の一花

夕方植物たちに水をやっていたら、ジャスミンの最後の蕾が開いているのに気づいた。

去年の今頃、花の終わりの頃にラベンダーとアイビーとセットにして格安で売られていたのだ。ピークを過ぎたとはいえ、まだまだ花を楽しめそうだったし、3種の組み合わせの色合いがとてもきれいで、安くなっているのが不思議なくらいだった。

少し大きめの鉢に植え替えるとぐんぐん育ち、今年もたくさん花を咲かせて、うっとりする香りを放ってくれた。

うっとりする香り。。
ジャスミンと出会ったのは、20代半ば頃だ。ある集まりの休憩時間に、それほど親しいわけでもない人たちと気を遣いながらお茶を飲むのが面倒くさく思えて、近くのデパートのティールームに一人で行った。

案内された席はテラスに近く、楽しい気分で飲み物がくるのを待っているうちに、とてもいい感じの甘い香りが漂っているのに気づいた。
ケーキやお菓子の匂いでなく、なんか花のような…と辺りを見渡すと、テラスに設置されたラティス一面がツタみたいなもので覆われていて、白い花が咲いている。これしかない!と席を立って嗅いでみると、もううっとりとしか言いようのない良い香りがしたのだ。今のようにジャスミンが普及していなかった昔の話。

金木犀クチナシも大好きな香りでうっとりするけど、それとはまた違う香り。ああ、植物たちの素晴らしさよ。

今日、皆より遅れて咲いた最後の一花。
ありがとう。なるべく長く咲いていて。

光あふれる緑の季節に

自転車に乗ってふらりと、昔の風情が残る路地のパン屋さんに行ってみた。

半分路頭販売のようなオープンさで楽しい。中でも食べられるようなので、アイス珈琲とあんぱんをお願いした。

待っている間に上品な老夫婦?も来て、二人は飲み物をたのまなかったので、すぐにカウンターの席で食べ始める。
おいしい、自然な味だ、というような、短いけれどやわらかな会話を聞くともなしに聞きながら店内を眺める。猫が現れるかもしれないので、苦手な人は言ってね的な英語の貼り紙に微笑んでしまう。猫ちゃん来るといいなあ。

熱いコーヒーから作ってもらったアイス珈琲はとてもおいしく、パンも生地・あん共に滋味深いおいしさが詰まっていた。

少し日本離れしたアジア感漂う店内。壁の質感。開け放たれた入り口から見える、初夏の陽に照る細い道。

初めての場所なのに何もかもが私を寛がせ、まるで時が止まったように感じた。

帰り際店主の女性とすこしお話して、また来ると約束して初夏の陽の下に出た。

振り返ったらお店はなく、普通の家があるだけだった…とかならファンタジー小説になりそうだが、ちゃんとあった。
また行く。